映画の内容は、もう説明不要でしょう。70年代半ばからずっと、ずっと特に日本では最も愛されてきた英国出身のバンド、クイーンの、結成から成功、そして孤高のヴォーカリスト、フレディ・マーキュリーの生き様を捉えた伝記映画です。
盛んに流れているTVスポットを観るにつけ、メンバーを演じる俳優がどれだけ本家に似ているのか見極めようという意地悪な興味が湧く方も多いことでしょうが、少なくともこれまで多くの人が抱いてきたメンバー各々のイメージをそのままに体現してくれています。クイーンのギタリスト、ブライアン・メイは、自身を演じるグウィリム・リーについて「鏡を見ているような気になった」という最上級の賛辞を贈ったとか。ただ、こうした姿かたち形のそっくりぶりは、放心状態でエンドロールを眺める頃には、映画の本質とはやや外れたところにあると気づくことと思います。
ブライアンとドラマーのロジャー・テイラーが音楽総監督を務めているだけあって、なるほど、単なる場つなぎ的なBGMに使用されている楽曲は1つとしてありません。オープニングのお馴染み「20世紀フォックス・ファンファーレ」からして、この作品のための新録だそうで、紛う方ないブライアンのギターの音色にボルテージが上がり、映画自体、クイーンのメンバーのお墨付きだということが一瞬にしてわかります。ブライアンとロジャーはライヴ・シーンのリハーサルにも足を運び、キャストにアドバイスを授けるなど、映画製作に協力を惜しまなかったといいます。
たとえば、絵葉書で見慣れていた風景や名跡を実際に訪ねたとき、実在の場所だと頭ではずっとわかっていたはずなのに、いざそれが現実のものとして3次元で目の前に迫って来ると、「本当にあったんだ」と、どこかシュールな感覚に囚われるのに似ているかと思います。既視感がある一方で、当事者しか知り得ないであろうエピソードが満載で、新しい発見に喜ぶという体験が続くのです。この映画では、楽曲の作られた裏話として長年、いろいろなところで語られ、人々に記憶されていたことが映像として再現され、あたかもメンバー本人達の行動を追いかけたドキュメンタリーであるかのような錯覚に陥る場面も多々あります。映画のタイトルにもなっている「ボヘミアン・ラプソディ」のメイキング・シーンもそのひとつ。
今やスポーツ観戦のアンセムと化した「ウィ・ウィル・ロック・ユー」のイントロのレコーディング風景も画期的。ブライアンとロジャーによる考証で裏付けられていることを考えれば、本当にクイーンの4人はスタジオでこうやって音入れをしていたのだと思われ、そこはかとない感動が押し寄せます。
こうして、周知の事実として知られていることが映像として突き付けられるのは、時に小気味好くもあり、時に心苦しくもあります。1991年11月24日、フレディ・マーキュリーという不世出なミュージシャンがAIDSで死去した―その事実は変わらず、バンドは絶頂期にありながら、フレディが徐々に堕ちていく様子には、熱烈なファンなら目や耳を塞ぎたくなりそうです。(#2につづく)