ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男

 1970年代後半から80年代前半、一部のテニス愛好家のみならず世の中の誰もがスターと認め、崇めていた稀代の天才テニス・プレーヤー、ビヨン・ボルグ。スウェーデン出身の彼は彫りの深いルックス、「氷の男」=アイスマンと呼ばれるほど何事にも動じない冷静なプレースタイルで、全盛期の人気は凄まじく、テニス人気の底上げに、確実に貢献していました。対する「炎の男」とは、悪童の呼び名で知られるアメリカのジョン・マッケンローのこと。判定が気に食わなければジャッジに悪態をつくのは当たり前、感情剥き出しの悪ガキで、格闘技で言うヒール的な立ち位置にあり、プレー以上に言動が常に注目を集めていました。あれから40年近くが経ち、ナダルにフェデラー、ジョコビッチと、センターコートが似合うスター選手は多くいますが、このボルグとマッケンローほどの個性を放つ絶対的なスターは出現していないように思います。

 映画では、1980年、ボルグの5連覇がかかったウィンブルドン大会での2人の対戦を軸に、それぞれのテニス人生を振り返りながら、試合までの数日間の心理状態をつぶさに描いていきます。
 タイトルこそ2人の名前が並列になっていますが、スウェーデン、フィンランド、デンマークの合作ということもあって、比重が置かれているのはやはりビヨン・ボルグ。刻々と近づいてくる試合の時に向けての彼の焦燥や葛藤が、より深く丹念に掘り下げられています。物語の舞台が欧州であっても台詞は現地の言葉でなく英語に置き換えられることの多いハリウッド映画とは違い、私たち日本人の環境では耳馴染みの薄いスウェーデン語で大部分が展開されることからも、どこか緊迫感がリアルに伝わってくる気がします。試合の日が近づくにつれ、氷の男も、世の中の喧騒の裏では冷静とは程遠かったという、知られざる姿が明かされていくのです。

 映画の中のボルグは、同じ境遇にある人間でなければ理解も共有もできないであろう孤独と重圧に苛まれ、コートの外でも、観ているこちらが一緒になって息苦しくなるほどの闘いを続けていきます。俳優が演じている以上、多少の脚色もあるのだろうとは思いながらも、美談に終始する代わりに、ある意味醜い部分をここまで晒していいものかと心配にさえなってしまいます。ボルグほどの有名アスリートの、いかにもタブロイドが好みそうな逸話が数十年もの間知られずにいたのは、当時、彼にまつわる露出がそれだけ徹底してコントロールされていたということなのでしょう。思えば、最強時代のボルグのプレーを観ていて痛々しさを感じることなどありませんでした。いつも淡々と、勝つべくして勝つ絶対王者としての彼しか記憶にないのです。別段、熱烈なファンでもなく、FILAのロゴを見るにつけボルグの顔を連想する程度だった筆者にとっては、常時、ツアーに帯同する婚約者や、少年期から親以上の時間を共に過ごしてきたコーチの存在をはじめ、「そんなことが」「そうだったんだ」と、この作品で初めて知る事実が満載でした。

 さて、ボルグとマッケンローの2人は、そのパブリックイメージが対極にある氷と炎なら、テニスに目覚めた頃からウィンブルドンの芝に立つに至るまでの物語も対照的です。中でも、ボルグが、テニスを究めるには困難な貧しい家庭で育ち、もともとは「氷の男」の異名とは裏腹に激高しやすい短気な性格だったというのは、新鮮な驚きでした。その少年時代を演じるのは、ボルグの実の息子、レオ・ボルグ。このレオ君もテニス選手で、2017年、スウェーデン国内のU-14チャンピオンとなり、父同様、FILAと契約を結んだことが伝えられています。一方のマッケンローにも、世間にはあまり知られていない事情がありました。傍若無人な「炎の男」をもおとなしくさせる父との特異な関係性、そして先にスターになっていたボルグへの純粋な憧れ。私たちはやんちゃなマッケンローの陰の一面を知ることになるのです。

 映画終盤、いよいよボルグ対マッケンロー、1980年当時の世界ランキング1位と2位によるウィンブルドン決勝戦へ。実際の試合は3時間55分にも及ぶ熱戦で、観る側はあらかじめ結果を知っているのに、それでもストロークごとに手に汗握ってしまうのは、戦場ドキュメンタリーで鳴らし、これが長編ドラマ映画初作品というデンマーク人監督、ヤヌス・メッツの手腕に因るところが大きいと言えるでしょう。ハンディカムやステディカムを駆使して再現された試合は、マルチ・アングルで捉えた人物と球筋により、観客をぐいぐい引き込んでいきます。

 実在の、それも、今なお健在の、有名すぎる2人を演じる俳優の抱えるプレッシャーは並大抵でなかったに違いありませんが、綿密な研究の甲斐あって、違和感なく本人になりきっています。ボルグを演じるスウェーデン俳優の有望株、スベリル・グドナソンは『ストックホルムでワルツを』に出演、『ドラゴン・タトゥーの女』シリーズ2作目で2018年11月に米国公開予定の『蜘蛛の巣を払う女』の主要キャストに抜擢されています。本作ではアイホールの陰影など、もうビヨン・ボルグそのもののルックスで、心の内で増幅していくストレスを見事に表現しています。他方、マッケンローに扮するのは、『トランスフォーマー』以降、活躍目覚ましいシャイア・ラブーフ。顔の造作自体はマッケンロー本人と必ずしも似ていないのですが、飄々とした所作と攻撃的な態度の奥に、不安と苦悶を秘めた多面的な人物像を創り出すのに成功しています。この2人がコートでふと見せる後ろ姿など、特徴的なヘアスタイルとユニフォームも手伝って、もはや本物にしか見えません。もちろん、アスリートを演じるための肉体改造やテニスを含むトレーニングが求められた俳優2人でしたが、ウィンブルドンの試合まで交流がなかった実際のボルグとマッケンローに倣って、試合のシーンまで敢えて接触をしなかったそうです。

 ボルグの才能をいち早く見出し、少年時代から支え続けるコーチのレナート・ベルゲリン役は、スウェーデンきっての名優、ステラン・スカルスガルドが演じています。『パイレーツ・オブ・カリビアン』『マイティ・ソー』『アベンジャーズ』の各シリーズなどの数多くのブロックバスターに出演、極悪人役も人のいいおじさん役も、難なく自分のものにしてしまう名優で、最近では、『マンマ・ミーア!』続編でいい味を出していました。

 エンディング近く、闘いを終えた2人をつなぐ印象的な場面が用意されています。くれぐれも、試合の勝敗がついたところで気を抜いてしまわないように。(佐武加寿子)

『ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男』
8月31日(金)TOHOシネマズ日比谷ほか全国順次公開

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